地元の新聞社がくれた仕事だった。私が育ったのは西日本の、衰退していくいっぽう、という紋切り型が口をついて出そうになる、しかし数年に一度、海水浴場が人気ゲームとコラボしたりスポーツの国際大会で有力チームのキャンプ地になったりして、短い隆盛をくり返しながらゆるやかな下り坂を下り続けているような街だ。そういう街の出身者ならたいがいそうであるように、地元の安定した企業──新聞社、テレビ局、JR、そしてなにより公務員──には必ず一人か二人、中高の同級生や先輩がいて、そのコラムの依頼も、高校の、私が一年生の夏の大会で腰を痛めて辞めたラグビー部のヴァイス(副キャプテンを〈ヴァイス・キャプテン〉と呼ぶのは、ラグビーの文化なのか、それともあの粗暴な顧問の趣味だったのか)が、担当とはちがう部署から、私を推薦してくれたものらしい。
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