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みんな無理せず、無理もさせずに ──『セクシー田中さん』問題報告書を読んで

 

 最初はたしか、地下鉄駅で無料配布されているような、半分が広告やタイアップ記事で埋められた雑誌だった気がするが定かではない。どこかのオフィスで、プリンタ複合機に乗ってポーズを取る、赤く露出の多い衣裳の女性と、それをうっとりした表情で見上げる、会社の制服らしいものを着た女性が目に入った。タイトルや惹句も書かれていただろうが、憶えていない。

 そのすぐあと、スマホで何かを見ているときにも広告が表示された。雑誌のなかでは複合機に乗っていた女性が、雑誌でいっしょに立っていた女性と同じ服を着た、しかし違う女性の腰に腕を回している。前者には〈セクシー田中さん〉と、後者には〈地味なOL田中さん〉と書き添えられていた。そう言われて見ると二人の顔はよく似ていて、ようやく私は、この二人は同一人物で、ふだんは〈地味なOL〉として働いている女性が、会社では見せない〈セクシー〉なダンサーの顔を持っている、という設定なのだ、と理解した。ダンスに詳しくはないから、〈セクシー田中さん〉の纏っている衣裳がどういったジャンルのダンスのものかはわからなかった。露出の多さと〈セクシー〉という言葉から、ストリップかな、とも思ったが、そういう主題のドラマがゴールデンタイムに流されることはないだろう。

 ともあれ、その広告を見たときの印象は、フーン、という程度だった記憶がある。公の場で〈セクシー〉という言葉が発されているのを目にする機会はそう多くなく、数年前の環境大臣の〈セクシー〉発言とか、小学生のころ好きだった漫画『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』を思い出しもしたが、それくらいだ。雑誌でもスマホでも、私が広告を見ていたのはせいぜい数秒で、その一瞥で受け取れたのは、地味なOLが実はセクシーなダンサー!というギャップだけだった。そしてそのギャップは、会社員経験がなくダンスにも興味がない私に響くものではなく、私はすぐにページをめくったり右上の×ボタンをタップしたりした。

 観たい番組はだいたい録画してCMを飛ばして観るから、おそらく私が『セクシー田中さん』というドラマの広告を目にしたのはその二度だけだった。原作漫画やその掲載誌を読んだこともなく、原作者や脚本家のファンというわけでもない。放送がいつはじまり、いつ終わったのかも知らず、次に私がそのタイトルを見たのは、脚本家の相沢友子がInstagramに、終盤にいたって脚本担当から降ろされた経緯を投稿した、というニュースだった。そのときは、まあそんなこともあるだろうな、くらいに思った記憶がある。原作者の芦原妃名子が反論文を公開したときも、なんだか双方、間に挟まれたスタッフたちも、みんな大変そうだなあ、という程度で、強く印象にとどめたわけではない。

 そんな私がこの文章を書こうと思った理由は自分でもよくわからない。とにかく、こういった一連の経緯の果てに芦原が亡くなったとき、つよく動揺したことを憶えている。その日の日記を読み返してみる。

 

 芦原妃名子が、栃木県内のダムで遺体で見つかった、というニュース。Twitterのポストを削除して、〈攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい〉のひと言だけを投稿して失踪していたそう。痛ましい。内情をまったく知らないので安易に責任の所在を想像することはできない、が、ドラマは漫画とはべつの作品だ、と割り切れればこんなことにはならなかったのでは、とも思ってしまう。

 そもそもあの、ドラマ化に際して出した条件、というのも、無理難題を言って諦めさせるための方便だったのかもしれない。「竹取物語」のなかの〈火鼠の裘〉とかみたいな……。かぐや姫の求婚者たちはそれでも諦めなかったが、けっきょくある者は失脚し、ある者は大病を患い、みんな失敗に終わったのだった。

 私は──と自分も(経験はないけど)映像化されうるものを書いてるので、どうしても自分に引きつけて考えてしまう──作品に対して、自分の子供だ、という感覚は持っていない。そういう感覚は不健全なものだとすら思っていて、同じ紋切り型なら、発表してしまえば作品は作者ではなく読者のものだ、というののほうに同調している。だから自作が映像化されるとしても条件を出すつもりはない、し、その映像作品の出来や評判の良し悪しも、自分とは関係のないものだと思う……、が、それも、経験がないから思えることかもしれない。なんだかメンタルにダメージを負って、ブラウザを閉じたあともいまいち何も手に着かず。

(一月二十九日)

 

 動揺しつつ、「竹取物語」を呼び込んでポップに考えようとしていたり、自分は自作に対して芦原とは違う考えかたをしている、と、言い聞かせることで、自分を事態から引き離そうとしているのがうかがえる。そもそもこのドラマは(少なくとも現段階では)作られるべきではなかった、とも考えているようだ。その後も数日にわたって、私はこの件を引きずっている。

 

 新聞を取りに行く以外の外出をせず、作業をしたり漫画を読んだり。ふとした瞬間に芦原のことを考えてしまう。氏の漫画もその映像化作品も、今回の件があるまでぜんぜん興味なかったのにな。

(一月三十日)

 

 昼休みに『チボー家の人々』をまた読みはじめた、が、やっぱり集中できない。内容は興味深い、ジャックやダニエル、アントワーヌの行く末を見届けたい、という思いはありつつ、読みながら考えるのはなぜか芦原のこと、日光市のダムで亡くなっていたという氏が、住んでいた都内から北を目指している間に見ていただろう景色のことばかりで、これはどうも良くない。『チボー家』みたいに自サイトの企画として本を読むときは、エッセイを書くし日記にも書くから、作品と関係ないことが思い浮かんだらいったんその思考を追ってみる、ことにしてるのだが、メンタルが参ってるときにはやめたほうがいいな。

(二月五日)

 

 日記に書いているとおり、私は自作を映像化された経験がない。漫画家である芦原とわりに似た仕事をしているとはいえるが、ジャンルも経験も違いすぎて、自分を重ねて考えることは難しい。ただ、いずれはめちゃくちゃ売れるつもりでいる者として、自作の映像化はいずれ経験することだ、とは思っている。説明もなく、あるいは納得のいかない理由で没になることもあるし、紙面の都合に合わせて文章の表記や行わけを変えられることも多い。言い分に食いちがいはありつつ、双方ともに自分の思うような作品づくりができなかったと訴えているのを見て、私自身の経験したあれこれを思い出したのだろう。私はパニック障碍を患っていて、それに起因する鬱症状も頻繁に出る。そういったいろいろなことが重なって、芦原の死を知ったときにつよく動揺したのだと思う。

 その動揺を書きとめよう、と、ここに引用した日記を書いているとき考えていたことを憶えている。一週間ほどかけて動揺は落ち着いていき、それでひとまず、私のなかではひと段落ついたのに、今こうやって、改めてまとまった文章を書きはじめている。

 

 先日、と書きはじめた今日は二〇二四年六月二日だが、五月三十一日に、日本テレビが設置した調査委員会(いちおう正式名称を書いておくと、〈日本テレビ放送網株式会社 ドラマ「セクシー田中さん」社内特別調査チーム〉という)が、調査の結果を報告書として公開した。「調査報告書の概要」(以下「日テレ概要」)、「調査報告書」本文(以下「日テレ本文」)、「【別紙1】本件事案の概要」(以下「日テレ別紙1」)、「【別紙2】 アンケート調査の結果」(以下「日テレ別紙2」)、「【別紙3】 有識者の方々からいただいたコメント」(以下「日テレ別紙3」)の五つの文書。「本文」だけで九十一ページにおよぶ報告書を読みながら、あの、SNS上での騒動から芦原の死を経た数日間の動揺が蘇ってきた。

 動揺した心をしずめるときに、人それぞれやりかたは違うだろうが、私の場合は文章を書いて考えを整理することが多い。報告書を、一度に読むとまたメンタルに響いて仕事や趣味が手に着かなくなりそうだったから、少しずつ読み進めて、思ったことを書き出していくことにした。私は大長編小説を日々ちょっとずつ読みながら日記やエッセイを書くことを何年か続けていて、これも、かんたんには読み通せない文章を、日常のなかに溶かし込むような試みといえるかもしれないし、そうやってまた、自分の動揺をしずめようとしているのだろう。

 六月三日、もう一方の当事者である小学館も、調査委員会(〈株式会社小学館 特別調査委員会〉による報告書を公開した。「調査報告書」本文(以下「小学館本文」)と、同社刊行物の「映像化指針」(以下「小学館指針」)の二つ。私は日テレの五つの文書を読んだあとで小学館の二つの文書を読んだ。両者を行き来しながら見比べたりもした。読むことで起きた動揺をしずめるために書く、というつもりだったのが次第に、考えたことを書くために読む、と反転していった。そうするうちに、私の心の動揺は落ち着いていた。考えたことを書くために読む、ために書いて考える。六月二日に書き出して、両社の報告書を読みながら書き進めて、六月七日に書き終えた。一晩寝かせて、明日あたりに公開しようと思っている。

 一連の文書を読んだ私がこの文章を書いたのは、あくまでも自分のためなのだと思う。何かの主張や提言のためではない。そんなこと、書いてる本人にとって以外はどうでもいいことだ、というのはわかっているが、こうやって整理するのは自分にとって重要だった、と思っている。

 

              *

 

 全体を読んだ印象として、おそらく多くの人が思ったことではあるが、すっきりと腹落ちするような内容ではなかった。もちろん、読者(という言葉をあえて使うが)をすっきりさせることがこの報告書の目的ではない。

 前提として、各調査委員会の正式名称が示しているように、どちらもそれぞれが社内に設置した組織によって調査が行われている。だから当然、調査とその報告の目的も、それぞれの社益に資するものに設定されている。

 日テレの調査委員会はその目的を、〈原作者、脚本家、制作者等が、より一層安心して制作に臨める体制を構築する〉(日テレ本文 P.1)ため、としている。だから調査対象も、同社の従業員やドラマ制作関係者には二十人ほどに対面でヒアリングをしているのに対して、小学館側の関係者には、四人に書面で質問をしただけだ。メールやLINE等の証拠も日テレ側の手元にあるものだけを参照していて、事実認定についても、〈小学館が同意や承認をしているものではない〉(同 P.9)としている。

 SNSでは、日テレ報告書の冒頭、調査目的のあとに書き添えられた、〈なお、本件原作者の死亡原因の究明については目的としていない。〉(同P.1)という一文に批判が集まっていた。芦原、相沢がそれぞれにSNSで発表していた主張が食い違っていたことが、双方に良い顔をしようとした日テレのプロデューサーの二枚舌に起因している、という前提のもと、芦原の死に向き合おうとしていない、というのがその批判の論調だった。

 ただ、この批判はあまり建設的ではない、と思う。今後もドラマを作りつづける(そのなかには原作のあるものも含まれる)だろうテレビ局の社内組織としては、ここで書かれている調査目的は、何も不自然ではない。そもそも本人がすでに亡くなっている以上、参考になるのはせいぜい、芦原が書いた一連の主張や、失踪する前にSNSに投稿していた言葉くらいだろう。芦原の担当編集者の手元には詳細なやりとりが残っているだろうが、本人の同意が取れないのに他社の人間に見せるはずもないし、明確に遺書というかたちで残されてでもいないかぎり、いくら丁寧に考察したところで、当て推量にしかならない。この一連の経緯を気に病んで、というくらいしか言えないだろう。

 いっぽう、小学館の調査委員会は、〈本事案の事実経緯を調査し、芦原氏が亡くなられたことに影響を及ぼしたと考えられる事情を検討し、それらの事情における小学館の対応の問題点を抽出し、再発防止のための改善案を提言すること〉(小学館本文 P.3)に目的を設定している。対象者の人数は示されていないが、調査は関係者へのヒアリングと、日テレ関係者および本件脚本家(相沢)への書面質問によって行われた。事実認定についても、〈各相手側当事者は(…)本委員会が認定した事実について同意や承認をしているものではない〉(同 P.4)と述べている。

 いずれも、自分たちの手元にある資料と、身内へのヒアリングを中心に調査を行っている。その偏りが記述に反映されて、総じて、自分たち(日テレはドラマ制作側、小学館は原作側)に寄った視点で考察されている、という印象だった。全体のトーンとしては、小学館報告書は著作者の想い(権利)を楯に相手方の瑕疵を指摘していて、日テレ報告書は漫画とドラマという表現の違いを強調することで自分たちの正当性を確保しようとしているように見えた。

 

 先述の通り、日テレの報告書には三つの「別紙」が附されている。「別紙2」は同社の〈ドラマ制作に携わる関係者77名〉を対象にしたアンケートで、〈非対象者の回答や重複回答を防ぐため原則記名での回答を要請した〉(日テレ別紙2 P.1)そうだが、報告書では匿名にされている。「別紙3」では漫画家二名、脚本家八名、元ドラマプロデューサー五名に話を聞いているのだが、漫画家だけが顕名(里中満智子、東村アキコ)で、脚本家や元プロデューサーは全員匿名だった。深読みすれば、ドラマに関わる人たちを原作側と制作側に分断して、後者を守ろうとしている意識が、ここに表れているようにも見える。

 そしてもう一つ、これも細かいことではあるが、「別紙3」の地の文のなかで、各ヒアリング対象の紹介のトーンがかなり違っていることに気づいた。

 

日本漫画家協会の理事長で、多くの人気漫画を手掛け、ドラマ化されたご経験の豊富な里中満智子さんに、協会を代表してではなく、あくまで漫画家としての個人の見解ですと前置きがあったうえで、お話を伺った。

日テレ別紙3 P.1

 

 『主に泣いています』『海月姫』『東京タラレバ娘』『偽装不倫』『美食探偵 明智五郎』など数多くの作品が映像化されている東村アキコさんに原作者とドラマ制作側との関係についてお話を伺った。

同P.2

 

 小説や漫画を原作に脚本を執筆した経験がある8名の脚本家に話を聞いた。

同P.4

 多くの人気ドラマを手掛けドラマ界を牽引してきた在京各社元ドラマプロデューサー5名に、お話を伺った。

同 P.6

 

 里中、東村両氏に〈お話を伺った〉と書いて敬意を示している(日本漫画家協会の理事長、という肩書きがあるからか、里中のほうが讃えるトーンがやや強い)。元プロデューサーたちについては〈多くの人気ドラマを手掛けドラマ界を牽引してきた在京各社元ドラマプロデューサー5名に、お話を伺った〉とほとんどお追従のような書きかたをしているのに、脚本家については〈小説や漫画を原作に脚本を執筆した経験がある8名の脚本家に話を聞いた〉という書きかたになっている。漫画家と業界の実績者には敬意を示し、脚本家は名前も出さず尊敬語もつかわない。この脚本家軽視のマインドが、芦原からのいくつもの重要な要望を、トラブルが取り返しのつかないところに至るまで相沢に伝えなかった二枚舌につながっているようにも思える。

 

 報告書は総じて、日テレ、小学館ともに、原作側とドラマ制作側に二分して、それぞれの責任の軽重をめぐって考察されている印象だった。でも、東村が過去の経験として、自作のドラマ化作品の出演者について〈「他の俳優がいい」〉と伝えたところ、出版社の担当者が〈「マンガの売り上げのためにもここは折れてください」と説得してきた、という経緯を語り、〈出版社にとってはドラマになることが最優先であり、人気俳優が出演し、結果、漫画が売れることが大事なんだと感じ〉た、と振り返っている(日テレ別紙3 P.2)ように、出版社の目指すところが原作者と同じとは限らない。作品(や著者)を守るよりも会社の利益になることが優先されるのは、組織の一員である彼らにとっては当然のことだ。そのことは、私も編集者とのやりとりで感じることが多い。

 ともあれ、この問題を考えるときには、原作者、小学館、日テレ、脚本家、という四つの立場があり、それぞれが違うものを目指してこの案件に取り組んでいた、と見立てたほうが良いように思う。

 

              *

 

 全体の印象としてはこんなところだった。尊敬語の使いかたについては、この文章を最後まで書いたあと、推敲段階で気づいて加筆した。〈お話を伺った〉か〈話を聞いた〉か、という違いは、あまりに枝葉末節というか、問題やその帰結の重大さに対して卑小に過ぎて、言葉尻をあげつらっているだけなのかもしれない、と書きながら考えていた。

 言葉尻、と自分で書いて思いだしたのだが、日テレの報告書が公開されたあと、自分で読みはじめる前にSNSでよく見かけた批判のなかでは、先述の、芦原の死に向き合おうとしていない、というもののほかに、芦原のことを〈難しい作家〉だと表現しているのはおかしい、というものが多かった。該当する記述はたとえば、最初期の両社関係者の会合のなかで、小学館の〈C氏、D氏から本件原作者は以前、漫画のドラマ化で揉めたことがあり「難しい作家」(原作へのこだわりが強い作家)であり、原作に寄り添ったドラマ制作をお願いする旨の発言があった〉(日テレ本文P.10)というところ。小学館の報告書でも、同じ会合での発言として、〈社員A【引用者註・芦原の担当編集者で、日テレ報告書の〈C氏〉と同一人物】は、芦原氏が自分の作品を大切にする方であり、作品の世界観を守るために細かな指示をする所謂「難しい作家」であるから、原作に忠実で原作を大事にする脚本家でないと難しいと伝えた。〉(小学館本文 P.13)という記述がある。これを読めば、社員A=C氏がどの立場から何を指して〈難しい〉と言ったのかは明らかで、SNSでの、自分の作品を大事にしているだけなのに〈難しい〉呼ばわりなんて!という批判は、文脈ではなく単語レベルでの反応でしかなく、あまり意味をもたないように思った。

 ともあれ、おそらく後述することになる(実際にあとで書いた)が、この、作品を大事にする、という点について、芦原とはかなり違うスタンスで考えている。そのためにこの問題を自分事として捉えづらくなっている。それについてはまたあとで。

 

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 けっきょくのところ何が起きたのか、をひと言で要約するなら、過剰な配慮と忖度による伝言ゲームの失敗、という感じだった。

 原作者である芦原と脚本家である相沢の間には、小学館側の担当者と日テレ側の担当者が仲介者として存在している。そして、芦原の脚本への指摘を、小学館の担当者がマイルドな文面にして日テレの担当者に渡し、日テレの担当者は、当初はそのまま相沢に見せていたが、〈本件脚本家にとっては厳しい口調であってそのまま読むのはつらくなった〉(日テレ本文 P.14)ため、咀嚼して伝えるようになった。原作者→小学館担当者→日テレ担当者→脚本家のリレーのなかで、伝えたかったことが語り落とされ、〈条件〉のつもりだったのが〈要望〉にダウングレードされ、相沢は原作者の意向の一部をまったく知らずに仕事をすることを強いられていた。何も知らされていなかったからこそ相沢は、〈最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に例のない事態で困惑したが、残念ながら急きょ協力という形になった〉(同 P.38)と、問題の最終段階にいたるまで原作者の意向を知らなかったようなことをInstagramに投稿したのだろう。

 芦原の側も、日テレ報告書に〈その当否は別として、本打ちメンバーが当該原作の設定を変えようと試みたことには、それ相応の議論と積極的な理由があった。しかしながら、本件原作者の上記返信内容をみる限り、本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。〉(日テレ本文P.61)とあるように、原作の設定や芦原が準備したプロットをドラマ制作陣が変更した意図について、十分には知らされていなかったようだ。互いに相手が何を考えているかよくわからないまま、手探りで不信感を深めていった、と思われる。

 そもそもドラマ制作側のコアメンバーは、ドラマの方向性として、〈「原作を大切にしよう」〉といいつつ、〈「原作のいいところを活かしながら、ドラマとして成立できるとことを探る」〉(〈とこと〉は原文ママ、日テレ本文 P.13)というところで合意している。このくらいの認識でやっていたのでは、〈「必ず漫画に忠実に」「漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様『原作者があらすじからセリフまで』用意する」〉(同 P.10-11)という原作者の意向と一致するはずがない。

 原作者は(小学館の担当者を通じて)、ドラマ化の〈許諾の条件ではないが、はっきりした要望〉(日テレ本文 P.48)を何度も伝えていた。しかし日テレの報告書では、日テレ側の担当者は、そういうことは聞いてなかった、そういう認識はなかった、と繰り返している。これはたぶん、しょせん要望なら満たさなくてもいいでしょう、と無視(軽視)していて、したがって記憶にもとどめなかった、ということだろう。

 実際に、ドラマ制作側の見解として、小学館の〈C氏からのメールも「基本的には」「やむを得ない場合以外はできるだけ」「希望である」という指摘が多く、「創作を入れるな」と明確に指摘しているのは同年10月2日のメールが初めてである〉(日テレ本文 P.49)、つまり、ドラマ終盤の脚本についての対立が深刻化するまでは改変も許容されていた、という認識が紹介されている。私の感覚では、「基本的には」とか「やむを得ない場合以外はできるだけ」と言われたら、極力改変せずに作ろう、改変が避けられないのなら、原作との乖離をできるだけ小さくしよう、となる、と思う。が、この書きぶりでは、つまり改変してもいいのね、と受け取られる(言質にされる)可能性はある。

 ここらへんはちょっと、荒木優太が文芸月評のことで『文學界』と揉めた件を思い出す。あの事例では、荒木が担当していた文芸月評のなかでの、ある作品についての評言が問題になっていた。雑誌編集部が、その評言を変えるよう荒木に求め、しかし荒木が拒否して押し問答が続き、最終的に荒木がメールで〈お好きになさるとよいでしょう〉と伝えたために、その評言は文ごと削除されたのだった。もちろん、荒木の〈お好きになさるとよいでしょう〉が、文章についての白紙委任を意味するはずはない。ただ、矢野利裕が「『文學界』の「削除」について」(『矢野利裕のLOST TAPES』(私家版、二〇二三年十一月)所収)で指摘しているように、双方の主張が真っ向から対立して交渉している、という段階において、この言葉は、荒木の〈譲歩〉として機能してしまう。

 

              *

 

 話が逸れた、というか、小説家である私が身を置く業界(の隅っこ)のことになってしまった、ので、いったん間を置く。『文學界』の月評は、前月の文芸誌に載った新人(芥川賞の対象になり得る書き手)の作品をすべて評することになっている。一年間、全十二回連載される予定だった荒木の月評は、けっきょく二回だけで終わった。私は彼の評に対して、鋭い読みもありつつ、文章が乱暴というか、自分が低く評価した作品や分析を諦めた作品に対する評言がきわめて粗雑だ、という印象を持っていた。

 降板が決まったとき、次回の月評の対象である号の『すばる』に、私が書いた「焚火」という中篇が掲載されていた。あのあまり例のない口の悪さの評者が、私の作品をダシに何を言うのか、ちょっと期待している気持ちもあった。ただ、それは、往来で奇声を上げてる不審者にスマホのカメラを向けるようなもので、何かしらの興奮物質が分泌されはするが、積極的に近づきたいものではない。だから、荒木の降板はちょっと残念でもあったが、率直にいって、けっこうどうでもいいことではあった。それでもこうやって、三年以上経っても憶えているのだから、少なくとも、身近な大事件だった、くらいには思っているのだろう(荒木がそれから三年にわたって別媒体で、「『文學界』から干されたオレがなぜかまた文芸時評をやっている件について」やそれを略した「干さオレ」という題で時評連載をしていたのは、過去の喧嘩を売りにしている不良のようで、端的にみっともなかったと思う、が、急いで言い添えておくと、私がそう思うのは、自分ならぜったいに嫌だ、というだけで、氏が自ら過去のトラブルを売りにすること自体は、それこそ氏の〈お好きになさる〉ことだ)。

 

 話を『セクシー田中さん』に戻すと、たしかに、ドラマ制作陣の打ち合わせを経て作成されたプロットの段階では、設定のレベルで大幅な改変がほどこされていたのがうかがえる。

 

 原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の10代、20代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「父親のリストラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、高校受験の際に、父親が務める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」と言われて本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、「うん、そうだね」と笑って受け入れたという設定にする旨のプロット案を送信した。

日テレ本文 P.60-61

 

 原作者はこれに対して、〈かわいい制服の私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである〉(同 P.61)と返している(笑いごとではないのだが、ボケに対するツッコミとしてあまりにキレが良く、ちょっと笑ってしまった)。ドラマ制作陣による改変(の試み)のすべてが説明されているわけではないが、ひとまず、何の考えもなしに改変しようとしたわけじゃない、というくらいのことはわかる。

 とはいえ、ここで説明されている、短大は専門学校に比べてリアリティがない、とか、リストラは重い、とかいう考えかたは、総じて視聴者をばかにしているような気もする。ここらへんは、バラエティ番組の過剰なテロップや効果音、スポーツ中継にお笑い芸人を出演させてガチャガチャ騒がせる演出、なんかと通ずるような。

 

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 芦原が作品の設定や展開に込めた意味、ドラマ制作陣の改変の理由、は、たしかに、双方の報告書を読む限り、それぞれに一定の理路があるように思える。原作側が漫画を、ドラマ制作側がドラマを第一義においている以上、食い違うのは当然だ。そしてまったく違う媒体に移し替えるのだから、改変は必ず発生する。その改変を双方が納得できるかたちに落とし込むために、それぞれの主張をすりあわせる必要があった。本件ではその手法として、両社の担当者が双方の主張を伝達し合うという方法が採られている。

 今回の問題の大きな原因はこの伝言ゲームの失敗だと思っている。だから関連する全員が同じ文章を共有すること、が必要だったし、可能なら、原作者、小学館、日テレ、脚本家、が一堂に会して、漫画を脚本化する作業ができれば良かった、と思う(それがきわめて困難だ、というのはわかりつつ)。

 伝言ゲームの失敗には、互いの担当者の業務量が多すぎたことが影響している。日テレのアンケートでは、プロデューサー・プロデューサー補経験者二十五名中十八名が、プロデューサーの仕事量・仕事の幅を、〈多(広)すぎる〉と回答している。また、素養や仕事術を学ぶ機会についても、二十五名中十四名が〈少ないと感じる〉、三名が〈ほとんどない〉と回答している(ともに日テレ別紙2 P.10)。小学館担当者についても、〈本事案で、社員Aの業務量が尋常ではない多さであったことが複数人から指摘されている〉(小学館本文 P.83)と報告されている。それぞれの業務量に余裕があれば、もっと密にコミュニケーションを取ることができただろうし、カウンターパートのさらに向こうにいる原作者/脚本家を思いやることもできただろう。そうすれば、案件が難しくなってからも、相談を重ねて解決を目指すこともできたはずだ。

 そもそも、ドラマ『セクシー田中さん』は、制作期間が短かったという。ドラマ化が打診された二〇二三年三月の時点では、同年十月期もしくは翌年一月期の放送、つまり制作期間は六ヶ月もしくは九ヶ月、となっていた。小学館側は、〈本件原作者の原作への想いの強さ、未完の作品なので最終話付近の制作がセンシティヴになることを考え〉(日テレ本文 P.9)、より制作期間を長く取れる翌年一月期の放送を希望していた。しかし日テレは、〈関係者のスケジュール等を総合的に判断し〉(同 P.9)た結果、十月期の放送を決定している。準備期間が九ヶ月であれば今回の問題は生じなかった、とまではいえないが、すくなくともドラマ制作側が原作を分析するための時間は増えただろうし、脚本作成と原作者による監修のプロセスにも余裕がもてたはずだ。

 日テレの〈企画の当初から関わるプロデューサー、プロデューサー補経験者〉へのアンケートによると、①制作の準備期間については〈足りないことが多い〉が十九名、〈適正〉が五名、〈十分足りている〉が一名。②準備期間が足りないことでトラブルが起こった経験は〈ある〉が十六名、〈ない〉が九名。③制作期間や準備期間の設定について改善すべき点は〈ある〉が二十二名、〈ない〉が三名(別紙2 P.8-9)。準備期間は足りておらず、それによって問題が生じていて、改善するべきだ、と考えている人が多いことがうかがえる。たぶんこの問題は日テレ以外の放送局でも同様なのだろう(確証はない)。

 人件費や関係者のスケジュールといった事情もあるから、制作期間を延ばすのは簡単ではないだろうし、労働時間に関する規制も厳しくなったから、会社全体の人事も含めた改革が必要になる、のだろう。そのあたりは、テレビ局の内情についての知識がない私にはよくわからない。

 原作をドラマ化に際して改変することについて、日テレ調査委員会のヒアリングに応えた元ドラマプロデューサーの一人が、こういうことを言っている。

 

原作を愛する気持ちは誰にも負けないので映像化したい、なので白紙委任状をくださいという思いを伝えることが普通。原作者が守りたいものは何かを推し量る、思いをくみ取ることは難しい。編集者を通じて原作者から条件が出てきたというときは合わなくては駄目。議論に入ったほうが良い。

日テレ別紙 P.6

 

 原作者の思いは分からない、が、こちらの思いは分かってもらえるし、分からせることができればどんな改変でも許されうる、という認識だ。愛が伝われば白紙委任してもらえる(べき)というのは、何が問題だったか理解していないようにも思える。この人物は報告書を読んで何を思うのだろうか。

 

 今回の件では、けっきょく放送終了後にいたってもなお契約書が取り交わされることがなかったことが大きな問題として指摘されている。当初から契約書案のやりとりは行われていたが、最終的に、放送開始後の十月二十三日に小学館が送った契約書案が、放送終了までに戻されることはなかったようだ。

 日テレ側は、三月二十九日の両社のオンライン会議の場で、小学館側担当者が他局からのオファーを断ったと述べたのをもって、日テレの企画が許諾された、と認識している(日テレ本文 P.10)。いっぽう小学館側の担当者二人は、日テレ調査委員会への書面回答において、三月二十九日の段階ではあくまでも、他局の企画案をペンディングしたと報告しただけで、ドラマ化を正式に許諾したのは六月十日だ、と述べている(同P.10)。

 三月二十九日か、六月十日か、というこの食いちがいが重要なのは、原作者が脚本を書く可能性についての合意が、この間に行われているからだ。六月八日、小学館の報告書における〈社員B〉が、日テレのX氏(プロデューサーの上司)に、〈ドラマのオリジナル部分は芦原氏が詳細プロットを書き、これを受けて脚本家が起こした脚本を了承しない場合は脚本を自ら書く方法を提案し、脚本家に失礼にならないよう了承を取ること〉(小学館本文 P.21)を電話で求めている。そして六月十日には、ドラマ『セクシー田中さん』のプロデューサーから小学館担当者に対して、〈契約書の件承知しました。(…)こちらとしては合意で契約すすめたいというのは●●(日本テレビ社員X氏、原文では実名)に戻させていただきました〉(同P.21-22)とメールが送られたのをもって、〈メール及び口頭での契約が成立した〉(同 P.61)としている。

 しかし日テレX氏は小学館の調査委員会に対する書面回答で、六月八日の電話では、芦原が脚本を書く可能性について、〈明確な条件としてはお伝えいただいておりません〉(小学館本文 P.21)と主張している。だからけっきょくこの、原作者が脚本を書く可能性についての合意、がいつ行われたのか、あるいは行われなかったのかは、双方が自分たちに都合の良い解釈を採っていて、二つの報告書を読んでもよくわからなかった。

 こういった問題は、はっきりとした契約書が交わされておらず、〈メール及び口頭での契約〉でしかないから、各自が得手勝手に解釈してしまったことによって引き起こされている。

 だから解決策としては、契約書を、できればドラマ制作開始前に妥結するべきだ、ということになるだろう。でも、「日テレ別紙2」のアンケートや「日テレ別紙3」のプロデューサーたちのコメントでも指摘されていたように、制作開始前にクリエイティブな内容をすべて定めておくのは難しい。現場で実際に演じさせながら修正することや、役者がアドリブをすることもあるだろう(小説でいえば、書いてるうちに当初のプロットから逸脱することはあり得るし、そういうときのほうが往々にして良い文章になるものだ)。

「日テレ別紙3」の元プロデューサーたちの匿名コメントのなかで、契約書ではなく、原作通りに映像化できない場合はしっかりコミュニケーションを試みる、という〈誓約書〉を作成することに言及されていた(P.7)。クリエイティブな点については、実際に可能なのはその程度だろう。

 早期に契約を締結するべき、という点に関して、小学館の報告書では、〈本事案で原作者が脚本監修を何度も繰り返さざるを得なかったのは、原作利用許諾契約を締結し、脚本による原作の改編を見逃すことが出来なかったからである〉としている(小学館本文 P.64)。そしてそのことを回避するために、〈脚本家との頻繁なやり取りを回避するための確実な対策は、脚本確定後、原作利用許諾契約を締結することである〉と提言している(同 P.64-65)。この指摘は筋が通っていなくて、芦原は、それが契約だから繰り返し監修(修正指示)をしていたのではない。自分の作品を、そのドラマ化作品も含めて自分の思うようなかたちに仕上げたい、という意思があったのだから、契約締結前に脚本を確定させようとしたところで、芦原は監修を繰り返していただろう。契約が締結されるのが遅れた(締結されなかった)ことは、脚本作成における芦原の負担の大きさにはあまり関係なかったように思う。けっきょくこれでは、契約締結前の仕事量が増えるだけで、何の解決にもならない。

 ただ、報告書のほかの箇所と照らし合わせると、小学館の調査委員会がここで意図していたことが見えてくる。同委員会は、〈原作者が脚本を書くという条件は、言い換えると、脚本家の脚本が気に入らなければ、書く義務を、日本テレビに対して負うことにならないかという問題もある。(…)かえって作家にとって負担になりかねないことである〉(小学館本文 P.63)と指摘している。芦原の仕事のうち、小学館にとってもっとも重要なのは漫画の執筆だろう。この問題に心身を磨り減らした芦原は休載を申し出てもいる。だから、〈再発防止のための改善案を提言すること〉を目的とする小学館としては、漫画家の業務を増やしかねない(その義務を負わせる)ような条項を契約に盛り込むことを避けようとしたのだろう。

 いっぽうで、原作者が脚本を書いた場合クレジットに脚本家の名前を出すかどうか、は契約の範疇にあるように思う。日テレは、原作者とも脚本家とも、放送開始前までに契約の締結をしなかった。報告書ではその理由として、〈特に、原作契約書は、実際、制作開始の時点において作成、締結することは困難な場合が多い。なぜなら、原作契約には放送期間、放送回数、対価、二次利用などの条件が詳細に定められており、制作開始の時点では、それらが決まっていないことが多いからである〉(日テレ本文 P.88)と説明されている。しかし〈困難〉と言いつつ、この文のなかですでに解決策は明らかになっていて、条件が詳細に決まってから契約を締結して、制作開始すればいい。

 そういえば私も『蹴爪』を出したとき、契約を締結したのは刊行後のことだった。たしか収録作の推敲をしていたタイミングで、そういえばまだ契約書のこと何もしてないですけど、と編集者に訊いたところ、契約書は本が出たあとに交わすことになってるんです、そういう慣行でして、と言われたのだった。

 

              *

 

 また自分の話になりつつあるので、間を置く。『蹴爪』が講談社から刊行されたのは二〇一八年の七月のことだった。契約書について最初に話したのは五月か六月だったように思う。そのときは、ヘンな慣行だなあ、くらいに思って受け入れた。単行本制作にあたって(少なくとも、私の立場では)トラブルはなく、刊行後に講談社のひな形をそのままつかって契約書を交わした。もしあのとき大きなトラブルが起きていれば私も、やっかいな問題に身を投じることになっていのかもしれない。

 

 この文章の前半で、作品を大事にする、という点について、私と芦原がかなり違うスタンスを取っている、ということを書いた。それは端的にいえば、作品を自分から突き放すかどうか、という点にかかっている。

 これもすでに引用したことだが、私は芦原の死を知った日の日記に、〈ドラマは漫画とはべつの作品だ、と割り切れればこんなことにはならなかったのでは、とも思ってしまう〉と書いた。つまり私は、芦原の自作との向き合いかたが、芦原自身の死の原因のひとつだ、と考えている、ということだ。死人に鞭打つ、というか、死者を冒涜する、というか、そういう慣用句がいくつも思い浮かんで、実際にそう考えたんだから仕方ない、と言ってみても、どこか後ろ暗さを感じてしまう。

 その後ろ暗さこそ、私が芦原の死を知ってからの数日間落ち込んでいた鬱を呼び寄せたのだろうし、そのことこそを書いて考えるのだ、と、自分に言い聞かせながらここから先の文章を書いた。そして、自分がそうやって揺らいでいたことを文章に残すために、全体を推敲しながら、ここにある三つのパラグラフを書いている。

 

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 報告書を読んでいて、最初に芦原の態度に引っかかったのは、キャラクター表についてのこの記述だった。

 

 制作サイドは本件原作者に対し、キャラクター表があれば見せてほしいと要望したがキャラクター表は作っていないということであった。そこで、制作サイドは各人が本件原作を読み込んで本打ちで議論する等して把握しようとしていたが、原作者の意見と完全に合致することは難しかった。

日テレ本文 P.13-14

 

 キャラクター表、が、具体的にどういうものを指しているのかはわからない。相関図のようなものか、各キャラクターの設定や性格が箇条書きされたものかもしれない。ともあれ芦原は当初はそういった資料を渡さなかった。制作サイドは、いまだ連載中の、つまり途中までしか読めない作品について、読み込んで議論することで理解しようと努めることになった。

 原作者が渡した資料としては、一話のプロットが作成される前の段階で、「ドラマセクシー田中さん構成案についてご提案」というA4一枚の文章が送付されている。そこには〈三好と田中さんについて、笙野とふみかについて、田中さんのダンス留学、田中さんと笙野の関係がそれぞれ数行で説明されていた〉(日テレ本文 P.16)そうだ。具体的な内容はわからないが、ここを見るかぎり、ざっくりした設定資料、くらいの印象だ。このくらいの設定をもとに、作品を途中までしか読んでいない人が、〈作品の根底に流れる大切なテーマ〉(日テレ本文 P.24)を読み取って作品化するのはかなり難しい。

 小学館報告書のなかにこういう一節がある。

 

 脚本家において、原作の世界観の理解の違いがあれば、原作者の納得できるまで意見交換するのはやむを得ないことである。

 しかし同一性保持権を侵害しない範囲での改変は可能であるが、原作品の思想や世界観に関わる点においては原作者の意見が尊重されるべきことは言うまでもない。

小学館本文 P.70

 

 たしかにその通りではある。し、アシスタントチームを率いて漫画連載という激務をこなす芦原に、新たにキャラクター表を作成する余裕がなかったことは想像できる。

 しかし、そもそも〈現作品の思想や世界観〉がどれだけ共有されていたのだろうか。完結していない作品やA4一枚の資料、プロットや脚本へのフィードバックだけで、作品の根幹まで理解する(させる)のは簡単ではない。制作サイドが行っていたのはほとんど、一般読者による二次創作に近い作業だったように思える。

 ドラマ終盤の脚本についての問題が深刻化していくなか、芦原が作成して(小学館担当者を介して)プロデューサーに送付された、「修正について」という文書がある。

 

 これは私に限らずですが…

 作品の根底に流れる大切なテーマを汲み取れない様な、キャラを破綻させる様な、安易な改変は、作家を傷つけます。悪気が全くないのは分かってるけれど、結果的に大きく傷つける。それはしっかり自覚しておいて欲しいです。【中略】闇雲に原作を変えるな!と主張しているわけではなく、よりよいドラマになるように、自分を守るために、現段階で出来るベストを尽くしているつもりです。

日テレ本文 P.24

 

 この一節の主意は理解できる、のだが、印象的なのは、〈作品〉の安易な改変によって傷つくのが〈作家〉である点や〈自分を守る〉というフレーズだ。芦原が、作品と自分を切り離していない(切り離さないタイプだという)ことを象徴的に示している。連載中、つまり今まさに制作中の作品に対して強い思い入れを持つ、のは当然のことだし、ここは良し悪しというか、そういうタイプの描き手だ、ということでしかないのだが、それなら他人に作品を任せるべきではない、とも思う。

 

              *

 

 ここで私が歯切れ悪く考えている理由が、漫画家のとり・みきの、六月一日のツイートのなかで、すでに説明されていた。

 

マンガ家・作家も「どうぞどうぞ映像作品は原作があっても映像監督の作品ですから」という人から頑なに「自分の作品世界を壊されたくない」という人まで様々なのであまり簡単な図式で語るのはよくない

 

 おそらく、今回の件に限らず多くのドラマ制作側が、基本的に前者の立場を原作者に期待しているのだろう。そして私は前者で、芦原は後者だった。もちろんこのなかには無限にグラデーションがあるし、同じ作者でも、作品やドラマ制作陣との従前の人間関係によって態度の違いが生じうる。

 私が抱いている後ろ暗さはたぶん、こうやって、自分は〈どうぞどうぞ〉と作品を渡せる立場だ、と表明することが、〈自分の作品世界を壊されたくない〉作者たちに対して、何かマウンティングをしているように感じられることに起因しているのだろう。そしておそらく、〈どうぞどうぞ〉と言って手放すほうが楽だ、ということや、そうすることが、ドラマ制作陣に何か迎合することであると思っているのかもしれない。

 

              *

 

 ともあれ、原作者の意向によって、ドラマの第八話から第十話は、まず芦原が詳細なプロットを作ることになった。それを送付するとき芦原は、〈ネタバレギリギリのライン探りながらバランス見ながら書いてるので、アレンジやエピソード順番入れ替え、セリフの変更は、基本、しないでほしいです〉(日テレ本文 P.28)と書き添えている。

 これもかなり妙な表現で、ドラマは全十話なのだから、〈ネタ〉は第十話までにすべて描かれているはずだ。ここで芦原が危惧しているのは、漫画の〈ネタ〉がドラマで明かされることだ。ここにはドラマを独立した作品ではなく、漫画に従属する存在として捉えていることが表れている。

 けっきょく、その詳細なプロットも、ドラマ制作陣が作成した脚本では、芦原の意に沿わない改変がほどこされていた。それに応じて、原作者の意向として、〈8話以降は、今までとは根本的に違い、ドラマとして必要な変更以外は基本的にしないでほしい〉、〈ドラマとしての効果的な組み立てや長すぎるセリフのカット等は大丈夫であるが、セリフを少し変える、など本件脚本家の「創作」となるが、8~10話に関しては「創作」は入れないでいただきたい〉(日テレ本文 P.29)というメールが、小学館担当者から日テレ担当者宛に送られている。〈それでは本当に本件原作者が書いたとおりに起こすだけのロボットみたいになってしまうので本件脚本家も受け入れられないと思う〉(同 P.30)と抗議するプロデューサーに、小学館の担当者は、〈残り9,10話に関しては「ロボット的な脚本起こし」をお願いする〉(同 P.30)というメールを送る。

 この、プロデューサーの言葉を引用し、括弧でくくられた〈「ロボット的な脚本起こし」〉が誰の言葉なのかは明示されていないが、これはもはや、脚本家を作品制作の主体ではなく、漫画執筆のアシスタントくらいの存在として捉えているということだ。ドラマ制作陣は、芦原の意向を、しょせん要望にすぎない、と軽視し続けていたが、原作側にも、ドラマという芸術(やその制作者)に対するリスペクトがなかった、ように見える。

 

 クレジット問題がこじれたときも、芦原は〈「クレジットの件、脚本の件を曖昧にするなら、配信、DVD等の二次利用を一切認めない」〉(小学館本文 P.49)と(小学館社員Aを通じて)日テレに伝えているし、相沢も、〈本件脚本家から自分の希望クレジットが通らないのであれば第1話から第8話まで執筆した自分の脚本について、二次利用も含めて使用しないで欲しい〉(同 P.48)と主張している。妥協点が見つからなければ、配信やDVDでドラマを観る人は第一〜八話のみ、もしくは九、十話のみしか観られない、ということだ。実際にはおそらく、全話の配信やDVD化が中止されることになるだろう。そうなればドラマは、リアルタイムで視聴や録画をした人以外には届かない。

 それぞれのなかで問題が大きくなりすぎて、互いに作品を人質につかいはじめているということだ。芦原は、作品の安易な改変は〈作家〉を傷つけると主張し、よりよいドラマをつくることと同じウェイトで、〈自分を守る〉ことを目指していた。そして脚本家も、〈ここで自分が折れてしまうとすべての脚本家の尊厳に係わる〉(日テレ本文 P.77)と、ドラマの良し悪しとは違う観点での闘争であるという意識を持っていた。ことここにいたって、もはや作品は置き去りにされている。

 

              *

 

 リスペクト、ということでいうと、TVerで配信されたドラマでは、ダンスシーンの音楽が(配信の許諾が取れていなかったために)差し替えられていた、という問題が重要だと思った。登場人物の台詞としてその曲名が言及されているのにまったく違う曲が流れていたそうで、芦原には事前に報告がなく、氏はそれを、配信を視聴して知った。それものちの氏の態度の硬化に繋がっていたのだろう。

 芦原はドラマやその制作者に対するリスペクトがなかった、と私は書いたが、ドラマ制作陣も、(原作者だけでなく)音楽というものに、ひいては音楽に乗って身体で表現するダンスというものに対するリスペクトがない。ドラマのネタとしか見てなかったのだろう。

 けっきょく、多くの関係者が、自分の身内以外の存在(とその仕事)を軽視していたことがこの問題を大きくした原因だと思う。が、それでは、みんなお互いを尊重しましょう、という、道徳の授業めいた結論になってしまう。道徳も大事だが。

 

              *

 

 あとは読んでいて気になったことを、いくつか。

 

 最初にプロデューサーが小学館に送付した企画書には、この原作の売りやドラマの〈企画意図〉や〈企画ポイント〉が並べられていたという。

 

企画書では、「40歳を超えてわが道を往く経理部の地味なOL・田中さんとリスクヘッジを考えて生きる23歳可愛い系OL・朱里。真反対なふたりが化学変化を起こす、ほっこりラブコメディ」とドラマを性格付け、記載された企画意図は、「自分の殻を破り「なりたい自分」になろうとするこの物語の登場人物たちの姿は一歩踏み出す勇気をくれる。この作品を通して、変わることの楽しさを届けたい」「個性的なキャラたちが「生きづらさ」に立ち向かい奮闘する姿をコミカルに描き、笑って元気がもらえるドラマにしたいです」とされ、企画ポイントの第1項として「①自分を縛る“呪縛”から解放された時のカタルシス」が掲げられていた。

小学館本文 P.12

 

 企画書には、企画意図、企画ポイント(①自分を縛る“呪縛”から解放された時のカタルシス、②真反対なふたりの女の友情がスゴい!、③9笑って、1グッとくるドラマ、④あらゆる世代に響く!60代専業主婦女性の1歩、⑤田中さんと笙野の恋の行方は!?)、主要想定キャスト等が記載されていた。

日テレ本文 P.9

 

 小説家のなかでも人によって仕事の進めかたは違うだろうが、私はだいたい、編集者にはたいして相談せずに書きはじめて、最後まで書いたところで編集者に渡す。そこでフィードバックを受けて書き直すこともあれば自分の意見を押し通すこともあり、けっきょく没になることもある。いずれにせよ、企画書を作成することはない。だからこの、実際に制作に着手する前にその売りを挙げる、という進めかたが、けっこう新鮮だった。そして今はこういうのが人気がある(とされている)要素なのだなあ、と、なんだか感心してしまったのだった。

 

 ドラマはプロデューサーと脚本家だけで作るものではないはずだが、ほかのスタッフの関与について、ほとんど書かれていなかった。

 日テレの報告書では、制作チームとして数人の〈コアメンバー〉が挙げられているが、それぞれのドラマ制作における役職がいまいち分からなかった。〈今回のトラブルに関しては、本件原作者や出版社との向き合い、あるいはクレジットやSNS等と行った、本来的に現場制作スタッフ(監督など)の業務とは離れたところで生じたものであった〉(日テレ本文 P.75)と振り返っているが、脚本の作成に監督や演出家がまったく関わっていない、というのは、あまりありそうにない。トラブルと並行して撮影、放映が進行していて、撮り直しも行われているのだから、〈現場制作スタッフの業務とは離れ〉ているとはいえないだろう。

 そういった現場制作スタッフたちと脚本家の仲介もプロデューサーが担わされていたとしたら、とにかく心身共に負担が大きかっただろう。そしてこの(とりわけ日テレの)報告書から、関与していなかったはずがない現場制作スタッフの存在が抜け落ちているのは、何か、そうすることで彼らを守ろうとする意図があるようにも感じられる。

 

 また、芦原が、第九、十話のクレジットに相沢の名前を載せないよう求めていたころの出来事について、小学館側の報告書では、〈12月4日、芦原氏は、(…)撮影現場に、いつもと違って第9話、第10話分だけは撮影稿が配布されていることを知〉った、と書いてある(小学館本文 P.49)が、芦原に依頼された小学館社員Aの〈第9話、第10話は脚本を刷らずに撮影を進行させているか〉(同 P.49)という照会に対して日テレ側の担当者二人は、〈いずれも「クレジットの件がクリアしてない段階で印刷しておりませんし渡せていません」〉(同 P.49)と回答している。撮影現場で脚本が配布されていることを、芦原がどうやって知ったかは示されていないが、印刷も配布もしていないという日テレ社員二名の回答は芦原の認識と明らかに矛盾している。この食い違いがどう解決されたかは報告書のなかでは説明されていない。

 私も以前、職場で映画が撮影された経験があって、その脚本(「撮影稿」)を見たことがあるのだが、台本(ト書き)やキャストより先にスタッフの名前が載っていた。その映画では監督が脚本も書いていたし、連続ドラマではなかったから、『セクシー田中さん』の脚本とは違うところも多いだろうが、参考にはなる。私が見た「撮影稿」では、脚本家(監督)の名前は、全体の二番目(〈制作〉の次)に、見開きに一人の名前だけが掲載されていた。オリジナル脚本だから〈原作〉のクレジットはなかったが、〈原案協力〉は〈監督・脚本〉の次の次、見開きに各スタッフの名前が九人並んでいるページに収められていた。

 脚本家は台本(撮影稿)のなかで、わかりやすく主要な存在として扱われている、ということだ。ここに名前が載るかどうかはけっこう大きなことだし、ドラマのクレジットで表示するか、そこに〈協力〉とつけるか、担当話を明記するか、というのは、ほんの数文字の差でしかないのだが、脚本家にとってはほんとうに重要なことなのだろう。

 映画のエンドロールには、制作や配給にかかわったスタッフの名前が全員(かどうかは知らないが、かなり詳細に)並んでいる。いっぽう、漫画であればアシスタントの名前は明かされないことも多い(巻末とかで紹介されることもあるが、それは漫画家の裁量次第だろう)し、たとえば印刷会社や取次のスタッフ名が記載されることはない。スタッフの名前を明記するかどうか、という点についての意識も、原作者と脚本家で違いがあったのだと思われる。

 そしてドラマ制作側も、サントラ盤のジャケットのコピーライト表記として〈@NTV〉(日本テレビ)だけ書いて原作者名は記載しなかった(日テレ本文 P.32)。互いの名前を消そうとしていて、このへんまでくると単に、感情的な喧嘩のように見えてしまう。それほどに問題がこじれ、けっきょく原作が未完に終わってしまったことは、あらゆる関係者にとって不幸なことだった。

 

 報告書の最後に、双方の調査委員会が、それぞれの目的に沿った再発防止策を提言している。おおむね異論はない、というか、どちらも、双方の信頼関係を構築するとか、余裕をもって人員や制作期間を設定するとか、危機管理体制を充実させるとか、当たり前のことを言っているだけのように思える。それができりゃ苦労はないよ、という感じだ。

 

              *

 

 報告書を読みはじめてから七日目、起筆してから六日目に、この文章を書き終える。その間にいろいろと、別の原稿を書いたり家事をやったり、読書をしたり歯医者に行ったりしていた。これだけにかかりきりになっていたわけではないが、頭の隅でいつも、MacBook Airで開きっぱなしの報告書のPDFのことを考えていた気がする。

 おおむね、読みながら考えたことを書きとめておき、区切りまで読んだところでそのメモを見返して、なぜ自分はそういうことを考えたのかを考え、その由来を報告書のなかに探し、そうやって考えた過程を書く、というふうに書いてきた。それで今日、その断片を、意味のまとまりごとに並べ替えて、いちおうの流れができるようにそれぞれのまとまりの間を補い、その作業をしながら考えたことを、アスタリスクで区切って加筆する、というような書きかたで、この──Wordの文字数カウンターによると──二万文字あまりを書いてきた。

 ここまでこの文章を書いてきて、なんというか、むなしさ、を感じている。報告書を読んだだけの部外者が勝手に書いて何だよ、と自分でも思うのだが、妙な虚脱感がある。

 一月二十九日、自分の動揺をしずめるために、日記にこのことを書いた。報告書を読んだ今もなお、私のスタンスはそのときからそう変わっていない。変わらなかった(変われなかった)ことが、このむなしさにつながっているのかもしれない。

 けっきょくのところ、芦原は死んでしまった(死因は明かされていないようだが、おそらく自死だったのだろう)し、漫画『セクシー田中さん』が完結することはないし、相沢が今後、脚本家としてのキャリアを続けることは難しいだろう。それほどの犠牲を払いながら完成されたドラマも、たぶん今後、この一連の経緯を意識せずに観られることはない。

 今思っているのは、ほんとにみんな無理なく、無理もさせずに、それぞれの仕事をしてほしいということだ。死んでしまってはもうなにも書けないし描けないし撮れないし、読めないし観られない。そこまで個人を追い込むような状況はあってはならない──と、私もなんだか、当たり前の、それができりゃ苦労はないよ、という感じのことを書いて、この文章を閉じようとしている。

 一連の事態を経て残ったのは、無数の悲しみや怒りや、みんな今後は気をつけようね、という以上の意義の感じられない提言をするだけの二つの報告書だけだ。誰もハッピーにならない。というか、こういうトラブルが起きて、誰もがハッピーになる結末なんてあり得ないのだろう。それこそ漫画やドラマでもない限り。

 

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