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2022年1月22日
2021.7.25
おそまつさま、と返して、一緒に食器を持って立ち上がる。器に水をためて、木の匙を浸けておく。半年前の朝と同じように、LDKにはチーズの残り香が漂っていて、電動ミルのすごい音と同時に、その匂いがコーヒーに散らされて消えていく。...
2022年1月21日
2021.7.24
今は夏の盛りで、だんだん冷えていく丼に手を添えて暖を取った半年前とちがって、座ってるだけで汗をかく。彼女の髪も、秋の終わりに私より短いくらいにしてうなじが寒いと騒いでいたのに、それからもう九ヶ月経って、長いというほどではないにせよ、短めショートボブくらいには伸びてきた。長か...
2022年1月20日
2021.7.23
私も丼を見下ろす。和風のリゾットだった。昨日行ったスーパーで鯛が安くなっていて、安いといっても元値が高いからそんなに安くはないのだが、三割引のシールにつられて買ってしまった。単に鯛飯にするのもつまらないし、かといって吸い物を美味しく作る自信はなく、けっきょくリゾットを作った...
2022年1月20日
2021.7.22
なんだっけなあ、と恋人は丼を見下ろす。リゾットじゃないんだよほんとは。 リゾット? けっきょくヒントめいたものを出してもらっても、私にはぜんぜんわからない。 ほらあれ、七草のさ、と恋人はじれったそうに言い、自分が口にした言葉で正解を思い出して、がゆ!と叫んだ。...
2022年1月18日
2021.7.21
と私は訊いた。まだそれぞれに独り暮らしだったころ、交際をはじめたばかりで、私たちは自分たち以外に何もない時間に耐えられず、どちらかの部屋にいるときは、いつもテレビや音楽を流して沈黙を埋めていた。土曜の夜、日付が変わったころにはじまる『世界さまぁ〜リゾート』を観ていたのも、会...
2022年1月17日
2021.7.20
なんだっけあれ、食べたよね、正月に。 正月? 私は聞き返した。 恋人は木のスプーンを逆さに立て、ほらあれ、と、丸っこい先端から言葉が出てくるみたいに振って、おじや?みたいな、とつぶやいた。 お雑煮?
2022年1月16日
2021.7.19
私たちはさすがに疲れて、ほとんど無言のまま、家の近所のスーパー銭湯で汗を流してから帰宅した。それから外国の街に暮らす猫についてのテレビ番組を観ているうちに母が帰ってき、後半は三人で観た。そのあとご飯を食べたのだと思うが、翌日の昼には私と恋人はまた東京に戻ったから、ひとまずは...
2022年1月15日
2021.7.18
実際には木村の発言は、縁起の良い前触れとかではなく、私のプロポーズはあえなく断られ、苦し紛れに、じゃあ一緒に住む?とぜんぜん良くない同棲の提案をし、なぜかそれは受け入れられることになるのだが、それは何週間か先の話だ。
2022年1月14日
2021.7.17
木村のちょっとした失言があったから帰路で私たちは黙ったし、その沈黙があったから私はプロポーズ大作戦(という作戦名だった)の決行を決めた。デザートの皿に指環の小箱が乗ってるのを見たとき、彼女も、あの日の木村の、恥ずかしさか湯豆腐かで赤く上気した顔を思い出していたのではないか。
2022年1月13日
2021.7.16
行きを走っているときはわからなかったが、私たちが走った道はずっとわずかに傾斜していた。帰路になってようやく、車輪が回りやすいことに気づいた。楽だね、と言い合いながら、私たちは口数少なく自転車を走らせた。 お互いが似たようなことを考えていて、どちらかが切り出すのを待っていた。...
2022年1月12日
2021.7.15
冬に食べる湯豆腐は暖取るためのものでしょう。でも暑い夏にあえて食べる湯豆腐は、これは豆腐を味わうためのもの。また来てください。 訛りのない声で彼女は言って、これおみやげに、とおからの小袋を渡してくれた。私たちは、もう二度と会わない木村とティエンに手を振って店を出た。...
2022年1月11日
2021.7.14
ティエンの言葉から、関係のないことに話は流れていって、けっきょく二人は私たちを夫婦だと誤解したままで終わった。私たちは、あつあつの湯豆腐を食べあぐねている二人に別れを告げて席を立った。 いやあ、暑いのにごめんねえ、湯豆腐なんて勧めちゃって。レジを打ちながら、店主の女性が可笑...
2022年1月10日
2021.7.13
自分より十歳くらい上の男女が、片方の故郷を泊まりがけで訪れているのを見た大学生が、二人を夫婦と思うのは、それはまあそうだろう。夫婦じゃないんだよ、と口をついて出そうになり、しかし考えてみると、私たちが気まぐれを起こしてこんな滝まで来なければ二人との間に接点などなく、今後関係...
2022年1月9日
2021.7.12
なんでこんなとこまでチャリで来たのか、という話の流れだったか、この街に私の実家があり、彼女といっしょに帰省してきていて、私と同様この街の出身で、そういえば私の高校の遠い後輩でもあった木村もよく知っているとおり、砂丘の次に紹介するべき観光地ってあんまりなくて、迷ったあげくに、...
2022年1月9日
2021.7.11
たった一時間のやりとりも、五年をへだてて思い返すにはあまりに長く、私が彼らとの会話で憶えていることはほとんどない。長く記憶に残るのは言葉ではなく抽象的なイメージだ。あの日の会話を思い出すとき、私たちは、その情報と彼らの性格から、いかにも私たち四人が言っていそうなことを想像す...
2022年1月7日
2021.7.10
降りてきたのは、市内にひとつだけある国立大学の自転車競技部の学生たちで、ひとりは日本人でひとりはシンガポール人で、日本人は木村か木下だったかで、シンガポール人のほうはティエンだかトァンだかいう名前で、確か木村とティエンだったが、ちょっと自信はない。二人とも同じ理系学部の大学...
2022年1月7日
2021.7.9
自転車? そうだね、こんなとこで。こんなとこに自転車で来たわたしたちが言うことじゃない。しかも平日に。平日に来たわたしたちが言うことじゃない。なぜか待つ気持ちになって、そういうことを言いあっているうちに、木々の陰を回り込むかんじで二台の自転車が飛び出してき、ワッと大きな声で...
2022年1月5日
2021.7.8
滝、見に行こうか。私がそう言ってぬらりひょん号に鍵をかけ、彼女も車輪にチェーンを巻いた。その音の余韻が消えるより前に、豆腐屋のほうから、車輪のカラカラいう音が、けっこうなスピードで降りてきた。
2022年1月4日
2021.7.7
私たちは同い年で、たぶん二十年とか昔の同じころ、列島の離れた場所でそれぞれのビデオを観て育ち、いまこうして私の滝の前で、まったく違う記憶を見せあって親しく語りあっている。奇跡のようなものだ。 あはは、どっこも同じだね。滝の数だけビデオがある。彼女は目尻に浮いた涙を指でぬぐい...
2022年1月3日
2021.7.6
冬になるとこのあたりは雪深く、私たちが立っているアスファルトも、春に溶けるまでずっと冷たい底になる。滝から跳ねたしぶきが、流路のわきの草花を凍りつかせる。滝は、いくつものちいさなつららに縁取られ、轟音も雪に吸収されて、あたりはひどく静かになる──。まあぼくはここ来たことない...
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