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2022年3月3日
2021.9.3
そこで筆を置いて読者を突き放すか、エピローグを書いて軟着陸させるかは作品と私のバランス感覚で決める。そのころにはだいたい百から二百枚ぶんの原稿ができている。編集者から求められた枚数に合わなければ削ったり加筆したりするのが良いのだろうが、だいたいは何食わぬ顔で送りつけ、何か言...
2022年3月2日
2021.9.2
小説を書くときに、私の場合は、どういうものを書くか考えるのがいちばん難儀だ。 エンタメの新人賞出身の林原さんは書く前にプロットをつくって編集者と相談するとどこかに書いていた。ルールーは、BL作家なんてのは妄想する生物だから四六時中ネタを練ってるようなもんだよ、と言っていた。...
2022年3月1日
2021.9.1
私は小説を書くことで生計を立てている。もちろん小説以外にエッセイとか書評をやったり、まれにイベントに登壇したりもするが、いずれも〈小説家〉の肩書きで出るから、やっぱり本業は小説だ。
2022年2月28日
2021.8.31
〈ご調整いただき、ありがとうございます。それでは十七時半に、駅南口の時計台前でお待ちしております〉。それだけ送ってLINEを閉じ、サイレントモードに設定した。 もう子供たちの声は聞こえない。スマホをベッドに投げると、朝抜けだしたときのままわだかまっているタオルケットの上を弾...
2022年2月27日
2021.8.30
マリアは、見下ろしている私の耳に笑い声が聞こえるくらい楽しそうだったし、はじめて正面から見る気さえするその日のミツカくんもまんざらではなさそうで、同じ言語で喋ることができれば、二人の間に何かが芽生えていたかもしれない、と思いつく。...
2022年2月26日
2021.8.29
その日の記憶のなかのミツカくんはだいたい彼女のほうを向いていて、その日のことを思い出すときに私が思い出すのは彼の毛量の多い後頭部や赤らんだ耳とかだ。私たちはfacebookで友達登録をしたが、彼女はぜんぜん近況を投稿しないし、意思の疎通が取れるのはベラさんだけだったから、そ...
2022年2月25日
2021.8.28
開けっぱなした向こうから、隣室のドアを閉める音の余韻が消えるまで、私は何をするでもなく、新しいサルやメッセージが現れつづけるスマホの画面を見下ろしている。粟立った感情が落ち着くころには、恋人はたぶんもう仕事を再開していたし、彼女と私の会話を知るはずもないみんなは、ミツカくん...
2022年2月24日
2021.8.27
こうやって、受け入れられるとわかっている謝罪をするのは、ただ自分が楽になりたいだけだ。じゃあぼくも返事するね。 うん、わたしも仕事に戻る。恋人はそう言ってドアから身を起こした。あ、でもほんとに、みんなで集まれるのは嬉しいな。楽しみだね。...
2022年2月23日
2021.8.26
ごめん、勝手に行くって言っちゃって。 勝手? ルールーから朝、電話がきたとき。みやびさんが今日ミーティングだって知ってたのに。 ああ、それは、と恋人はすこし考え、その表情でもう、私に気を遣って言葉を選んでくれているのがわかる。まあ、話の流れってあるから。わたしでも同じように...
2022年2月23日
2021.8.25
私が、六割がたスタンプのやりとりをひととおり見ている間に、恋人が、〈わたしも仕事の都合つけて参加!〉と送り、力こぶをつくるサルのスタンプを押していた。〈おっよかった!〉〈無理しないでね〉〈あとひとり?〉〈あとひとり!〉〈あとひとり!〉大丈夫なの、と訊くと恋人は、なんとかする...
2022年2月21日
2021.8.24
私も机からスマホを取り上げた。宇野原さんのまじめくさった通達は、無数のサルたちにまぎれてこまぎれになっていたが、五時半に私たちの最寄り駅に集合、持ち物自由、暑いので飲み物は各自で持参、ということでよいか、とまとめれば三行で済む程度のことだった。そのくらいの情報を共有するのに...
2022年2月21日
2021.8.23
わたしの部屋だとあんまり聞こえないな。 路地の反対側だからかな。 あとミーティングしてたり、音楽かけてることも多いし。 クイーン? 喉を鳴らしてコッコッカッ、とWE WILL ROCK YOUのリズムを、刻みはじめようとしたところで恋人が首を振る。...
2022年2月19日
2021.8.22
窓を閉める。思わず力が入って、建て付けの悪いサッシがガラガラ音を立て、どん、とほとんど鈍器で殴るみたいに閉まる。自分がいちばん驚いて身を縮めると、急に遠のいた下のほうから、がらがら、どーん!といま耳元で囁いたミリちゃんが叫び、それがほかの子たちにもうつって、どーん!とみんな...
2022年2月18日
2021.8.21
ほんとうはいま路地には誰もいない。そもそも私はタクミくんやアカネちゃんやリョウが、五年くらいずっといるような気がしているが、いくらよくある名前だからって、そんなことあり得るだろうか。あるいは彼らはもうすでにここにはおらず、声だけが五年目のいまも、この人通りの少ない路地に響き...
2022年2月17日
2021.8.20
ここに越してきてから五年ほど、パンデミック下で保育園が閉まっていた何度かの数ヶ月を除いて、平日なら毎日、子供たちは私の窓の下を歩いた。でも、私がその姿を見下ろしたことは一度もない。そこまで強い興味を持っていないから。 それで私の中には、五年ほどかけて、彼らのイメージが育って...
2022年2月16日
2021.8.19
カオルくん窓開けてる? 暑いから。私はあまりエアコンでつくった空気が好きではなく、暑さ寒さには服装と窓で対処する。対して恋人は換気以外では窓を開けず、冷暖房はもちろんのこと、除湿も加湿もできるしアロマとかもついてる空気清浄機を使っている。私たちは快適と感じる空気のありようが...
2022年2月15日
2021.8.18
ひっこみつかなくなっちゃったな、と恋人がつぶやいた声も私には聞こえなかった。 ケトルが止まり、流れなずんだ時間を待つようにゆっくりとドリップする。豆が泡を発するかすかな音が、匂いといっしょに立ちのぼる。 こんにちはあ! どこかから元気な声がした。子供だ。それを呼び水にしたよ...
2022年2月14日
2021.8.17
いやまだ途中やんけ! 宇野原さんは、たぶん途中まで書いてた文章を、いったんコピーしたうえで削除して、エリカにつっこみを入れる。それからペーストをして続きを書きはじめた。エリカが反省するサルのスタンプを送り、それを見てベラさんが、ミツカくんのと同じ鳥獣戯画の、何かに追われるサ...
2022年2月14日
2021.8.16
恋人にスマホを見せてもらうと、前回のやりとり(先週、酔ったミツカくんが鳥獣戯画のスタンプを大量に送りつけてきた、のに誰もリアクションしなかった)の続きに、宇野原さんのアイコンとメッセージボックスがふたつ表示されている。 夏まっさかり、連日の猛暑でございます。みなさまいかがお...
2022年2月14日
2021.8.15
この棚にあるのはほとんどが既読のもので、見ていると、ストーリーや文中の一節が思い出されてくる。そうやって私はここにある本を何度も、開くことなく再読している。紅茶がほどよい温度になって、二、三口啜った。隣室のドアが開いて、恋人がLDKに出た気配がした。私もカップを持ってドアを...
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